【「迫る」アメラジアンに生まれて】「アメラジアン」という出自を、ずっと表に出していませんでした。大阪府の元保育士、仲村和枝さん(76)は長い間、迷い、悩み続けてきました。自分のルーツとどう向き合えばいいのか、思いを誰と共有すればよいのか、と。
沖縄出身。父は米軍の嘉手納基地で働いていたアメリカ人で、母は3歳の時に病気で亡くなりました。高校卒業後、沖縄を出た中村さんは、大阪の紡績工場で働きながら、保育の専門学校に3年間通いました。
沖縄県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦後、仲村さんのような「アメラジアン」の子供は「敵兵の子」という偏見や差別にさらされ、家族らにも冷たい視線が向けられました。「沖縄を封印して、こっち(本土)の人になろうとまっしぐらでした」
そんな仲村さんが今、沖縄、そして自分のルーツと向き合っています。「できるだけ沖縄から離れていたい」とすら思っていた仲村さんの思いはどのようにして変わっていったのか。その半生を通して、沖縄戦、そして戦後の沖縄について考えます。